「ニューヨークを皮膚感覚でとらえると、新しい世界が見えてくる」
(1997/Winter Issue)
インタビュアー:長野弘子
●アナウンサーは仲介者でなければならない
ソーホーの落ちついたカフェで、一度須田さんを見かけたことがある。飾り気のなさそうな人だという印象をその時受けたが、実際に会って話してみると、有名人にも拘わらず謙虚な姿勢が滲み出ている人柄にはっとさせられた。71年にフジテレビに入社して以来、「3時のあなた」、「おはよう!ナイスデイ」、「FNNスピーク」、「タイム3」など、芸能ニュースから政治・社会問題までを幅広く捕らえた番組のアナウンサーを26年間も務めてきた。
95年からニューヨーク勤務となり、「FCIワールドスーパータイム」でニューヨークの日本人向けに日本語放送を行う一方、「めざましテレビ ニューヨークレポート」で日本に向けて週に一回ニューヨークでのさまざまな出来事を紹介している。
アナウンサーとして大活躍の須田さんだが、最初からアナウンサーとして専門教育を受けてきたわけではない。テレビの世界に入ろうと思ったのも、大学で就職活動する頃、応募が来ていたからだという。
「フジテレビからも、募集が来ていました。魅力的な会社だったが当時も難しかったんですよ。今年も受験者6000人で、そのなかから受かるのが2、3人だから至難の技です。当時でも1000人中若干名だから、受かるとは正直言って思いませんでした。よく受かったなあと謙虚に思いました。専門的なものは何も持ってませんでしたから」
その中で26年間、アナウンサーの世界で生きてきたからには相当な苦労があったに違いない。しかし、その苦労を苦労と感じないところに須田さんの魅力がある。
「そうだなあ、これが苦労だと噛みしめている余裕なんかないですね、テレビの場合はね。最初から画面に出たら恥をかく。恥をかきつづけてこの年齢まできたわけですから。これが苦労なんて噛みしめている余裕なんてなかったなあ(笑)。苦労って言っても何が苦労かわかんないですよ」
がむしゃらにやってきた人でないと分からない思いもある。
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最初のうちはただテレビ出てただけ、それが年とともに自分の役割を考えるようになってきたという須田さんは、自分なりのアナウンサー哲学を持っている。
「アナウンサーは、スターじゃないんですよ。歌を歌って多くの人を酔わせたり、ファンが群がってくるようなスターじゃない。アナウンサーにもスター性がある人間はたくさんいますし、そういう仕事もまあありますけど、僕はアナウンサーの役割は違うと思いますね。テレビに出る人のなかで、タレントとかいろんな人いますけどね。僕はある程度の年齢に行ってから何かわかってきたような気がして。やっぱり一言で言ってしまえば、視聴者と情報の仲介者でなければならない」
仲介者に徹するのではなく、見る人に何か残す、考えさせるのも一つのアナウンサーの役割だという意見に対しては「いやー、そこまで考えていたら、ジャーナリストのうぬぼれですよ。問題提起をするとかね、言いやすいですけど。素材がそこにあるわけですから、それを視聴者がどう受けとめるかですよ。問題提起をしてこうだからこう伝えるとかね。そういう番組、そういう方法もあるかもしれない。しかし僕は、仲介者でなければいけないなあと思う。今は思ってます」と語る。
そういう須田さんも昔は違った考えを持っていた。
「うーん、昔は何でも出来事の最先端に行ったり、最前線に行って中継をやったりいろんなことをやっていました。そういう時は本当に仲介者の域を越えてましたね。脱しちゃってその中に入り込んでいましたね。やっぱり年のせいなのかな、これがキャリアなのかな、その入り込むことが果たしていいことなのかについて、考えるようになりましたね。あるところに入り込んじゃったら、もうそれで違和感なんですよ、これは。でも、僕のレポートというのは、現場に行ってどんどん入り込んで行ってるということで当時スタッフ達から評価された記憶はあるんです」
●試行錯誤のなかから番組は生まれる
一つ一つの仕事を真剣にこなしていく。この姿勢があったからこそ、いろんな名番組が生まれた。特に今までの番組で、「タイム3」は他の昼番とは違ったものがあったと彼は回想する。
「スタッフと相談しながら、どういう番組にしようかと暗中模索でやっていましたから。当時、僕とカサイシンスケというアナウンサーが、スタッフ達とみんなで作り上げたものがあれなんでしょうね。その前に『3時のあなた』という長寿番組がありまして、それよりもっと違った午後3時台を作ろうと思ったわけです。
日本も、家の中でじーっと3時になったらお茶を飲むという生活習慣が変わってきた時期でした。だからもっと違った、たとえば学校から帰ってきた人達なり、活動している人達が見るような番組というのがあってもいいんじゃないか、その試行錯誤の中から出てきたものだと思うんです。そういう上での企画とかいろんなことをスタッフ達と話し合ったことを今でも覚えています」
日本が全体的に変わっていく、それを番組に反映させていくためには、世の中を見つめる鋭い感覚が必要になる。その中で、常に心に止めておく問題に視聴率がある。視聴率により番組作りは影響を受けるかという問題については、「やはり視聴率というのは、何人の人がこの番組に感心を持っているかという貴重なサンプルですからね。影響を受けない番組もありますが、たとえば2%しかなかったら、ああ、やっぱりこれはあまり多くの人が感心を持たなかった、見てもすぐチャンネルを変えてしまったという視聴率に対する一つの見方とそれに対する反省があるんじゃないかなあと思います」と語る。
視聴者を考えた時、日本とニューヨークでの視聴者の違いに気付いたと須田さんは言う。
「テレビの見方が、僕は日本では随分変わってきていると思っていたんですね。テレビの初期の頃ね、テレビがもうこれだけしかなかった、番組もこれだけしかなかった。僕らが子供の頃は、よく食い入るように一生懸命見ましたよ。今は、日本ではそういう見方はしないような気がするんですよ。ヒットしているドラマはそうですけどね。しかしニューヨークでは、この時間のこの日本語放送を絶対に見るんだ、この時間に見られなかったらビデオに撮ってでも見るんだという、視聴者としては数万人ですけど、中身が濃いんではないかと感じたんです。だから、丁寧にやらなきゃいけないなあと思います。
そういう気持ちが強くなってきたので、ニュースの読み方がだんだん遅くなってきましてね。もうちょっとテンポアップした方が心地よいかと思って。少しまたスピードアップしているんですよ。やればやるほどスピードが遅くなるんですよ、日本でニュース担当していた時よりも。ABCのニュースですから内容が濃いですし、内容的にじっくり分かりながら人にも分かってもらおうという意識が強くなって、どんどんスピードが遅くなっちゃうんですよ。やっぱりリズム・テンポというのがありますから、どのくらいのテンポがいいのか、まだ暗中模索していますよ」
●ニューヨークは人間が面白い、テレビも人間が基本
あくまで、視聴者側に分かりやすい放送を続けるという彼は、慣れてしまうくらいならこの仕事は辞めた方がいいと、いつも自分に言い聞かせているという。そういった意味で、何か新しい刺激になりそうな予感がニューヨーク勤務にはあった。
「ええ、きっと面白いなという気持ちはありました。それに対する期待感とかね。刺激的な街ですから。どういう感じかは言葉ではなかなか表現できませんが。だって現象一つ捕らえても、東京が国際化してるって言ったって、これだけのいろんな人種の人達が世界中から集まっているということはないでしょ。我々日本人も含めてアジアから、それから南米から、ヨーロッパから、移民という形で来てる街でしょ。それぞれの場所から来ているというだけで、何か影響しあって新しいものが生まれる。この100年の間それの繰り返しだから、こんなに栄えたり危険な街になったり、それをまた安全な街にしようという動きがあったり」
ニューヨークと日本での生活の大きな違いは、一言でいえば東京は楽、十倍くらいニューヨークの方が疲れるということだ。
「朝起きるのでも何にしても、ここは厳しいところですよ。逆に言うと、東京が、ある意味では悪く言うとすごく過保護になっているような気がする、住まい空間が。こちらでは、何でも自分でやらなきゃいけない。ニューヨークにはどのくらいいる予定かは決められませんが、今、丁度1年半ですからもうちょっといたいですね。これからだという気がしますね。慣れて自分で行動できるまでには時間がかかるので、じっくり腰を落ちつけて5年位いたら、それからまたいろんな見方が出てくるのかなあと思ったりします。最低2〜3年以上はいたいですね」
また、お酒を一滴も飲まない須田さんは、ニューヨークの大きな魅力は世界中の食事が楽しめることだという。来た当初はいろんなレストランを試したそうだが、最近では少々飽き気味である。
「最近、仕事以外で食べることしか楽しみがなくなってきたんですよ。食べること以外で楽しめたり気分転換になったりして、自分に何か栄養がついたなあという遊びはないかなあと思ってね。今日は何を食べようか、明日は何を食べようか、今日はお昼はこうだから、夕食はどこどこの和食のあそこのおそばがおいしいから食べようかとかね。これを楽しみにしている自分が、何か哀しくなったんですよ、食べることなんて一切気にしない、他の楽しみを今見つけている最中なんです。自分をそう仕向けてるんです。なんか、教えて下さい(笑)」
そういいながらも、映画やミュージカルなどかなり幅広く見ている須田さんは、最近の感動した映画は「エビータ」だという。
「郊外の映画館で見たんですけど、終わったら観客が拍手していました。僕が行った時間帯は、結構年齢層が高かったんですが。やっぱり歴史上の事実ですから、映画的な表現はしていてもエビータという人間の存在について、こんなに大勢の人が感動しているのだという感動もありました。日本でもひと昔前はあったんですけどね、観客の反応というものが。時代劇など見るとね。出てくると、わーっと拍手していたけどね。ヤクザ映画でもそうですよ。仕返しに行くと、わーっと拍手の出た時期もあったんですけどね。30年、もっと前かな。こちらでは、今だに映画というのは多くの人の娯楽になっているし、多くの人が大事にしていますからね。だから映画産業がこんなに育つし、本当にお金をかけて映画を作れる環境にあるんでしょうね。素晴らしいですね」
いつも何かやろうとしているという心意気、好奇心が旺盛な須田さんにとって、ニューヨークはたまらなく魅力的な街だ。
「今になってもそうだな、やっぱり人間ですよ。言い古された言葉でも、ニューヨークの面白さは『人間』が面白いというでしょ。人間なんですよ、人間ウォッチングなんですよ」
テレビもそれが番組のなかにないと面白くないと須田さんは言う。今ヒットしているテレビドラマも、魅力的で面白い人間が出てこないとヒットしない。前からずっと変わらないテレビの原点は、そこにある。それを忘れてのテレビというのはありえないと須田さんは断言する。その中から、めざましテレビの中の「オーマイ ニューヨーク」という彼のコーナーが生まれた。
「ニューヨークのいろんな場所から、人々の生活をレポートするんです。この一年間やってきました。たとえば今週では消防署からの取材をやったんですけどね。それもカレンダーになっている格好いい消防士の男性にスポットを当ててね、消防士がどんなにこっちではヒーローなのか、もてはやされているのかをやったんですよ。こちらの暮らし方なりニューヨークの合理性なりがきちっと出れば面白いと思いますよ。ルームシェアは、日本でも反響が大きかったなあ。マンハッタンだったら家賃が高いですから、そういう合理的な方法を身につけないといけないにしても、こちらの若者達はどうしてルームシェアができるのか。日本でだったら出来ないですよ。安い家賃にして、狭い部屋に住もうと思うでしょ。寮での共同生活に慣れているアメリカの人の育ち方の違い、必ず、高校の時やある時期に経験していますから。だから、きっちりと知らない人同士でも信頼しあって暮らして行ける。お互いに立ち入るところは立ち入る、立ち入らないところは立ち入らないといった形で生活できる合理的なライフスタイルが面白い。日本でも反響が高かったですよ」
しかし須田さんは、日本に向かって、これがいいからやりましょうといった提言はしたくないという。
「こういう切り口でなどとスタッフもよく言いますけど、僕はそうじゃないと思う。もっと素直にこういう暮らし方もあるの、え、こういうこともできるのという、もっと人間の感性を大事にしていきたいですね。はい、これはこういう切り口で、ジャーナリスティックにはこうで、この中からこういう提言をして、それをきちっと日本に問題提起をするんだとかね、そういう考え方には今はなれない」
ニューヨークに来て、頭デッカチではない人間的な皮膚感覚というのに慣れてきたという。ごった煮の街を理屈づけようったって無理、いろんな人がいろんな本を書いてニューヨークの定義付けをやろうとしているがごった煮はごった煮のままだと、須田さんはあるがままにニューヨークを捕らえる。
「だからこそ、ニューヨークは魅力があるんです。だからまだまだ退屈していません」
多忙な毎日を送っているのにも拘わらず、疲労が次の行動のいいエネルギーになっているという須田さんは、今年で50歳を迎えるとは思えない程バイタリティに溢れたニューヨーカーである。
須田哲夫(すだてつお)
東京都出身。現在、FCI(フジサンケイ グループ米国法人)勤務。「FCIワールドスーパータイム」(全米及びヨーロッパ向け日本語ニュース放送)、「めざましテレビ ニューヨークリポート」のアナウンサーを務める。過去「3時のあなた」、「おはよう!ナイスデイ」、「タイム3」など数多くのキャスターを担当。
Posted by hiroko at September 21, 2001 02:57 PM | TrackBack