9月27日土曜日、ギル・スコット・ヘロンのライブが、ハーレムのショーンバーグ・センターで行われた。私にとって彼との出会いは、日本のあるレコード屋で見つけた彼のファースト・アルバム「Small Talk At 125th & Lenox」だった。ジャケットにたたずむ彼の姿に魅かれて何も知らずに買って帰り、家のプレイヤーに針を落としたときに受けた衝撃はいまも忘れられない。125丁目の街角に立っているという錯覚に陥るほど、このアルバムはライブなものだった。言葉の意味も分からなかった当時から、とにかく好きで幾度となく聴いたのが「Revolution Will Not Be Televised」だった。
その後、彼の思想や音楽スタイル、言葉の紡ぎ方がヒップホップの形成に多大な貢献をしたということを知ったが、それでも日本にいたときにはただ単に、パーカッションにギルの音楽的な詩というサウンド自体に魅かれていただけだった。しかし、今回彼のライブを観て、彼のメッセージを聴いて初めて、彼の凄さを実感した。権力や不正に対する強烈な怒り、また民衆に対する尽きない愛情がこの詩人のすべてを形成している。ギルは、その言葉と存在で観客すべてを圧倒し、個々の自我を完璧に取り去りすべての人との一体感を実現できる本物のメッセンジャーだ。
語り出しはまず、ギルの社会に対しての一考察から何気なく始まった。「この国の人間には英語を話せる人が少ない」と笑いながら語るギルは、彼の妻が3週間ごとにパーマをかけにいくという話をし、そんなしょっちゅう行くのは「パーマネント」ではなく「テンポラリー」だと言って、聴衆を爆笑の渦に巻き込んだ。
その後、ゆっくりとバンドのメンバーが登場し、彼のブルースが始まった。ギルの紡ぎ出すピアノと言葉には、社会が激しく変動した70年代の面影を残す厳しさとともに、社会や人間に対する成熟した愛情が強くにじみ出ている。社会の矛盾を矛盾としてストレートに表現する彼の声は、どんな強力な武器よりも強烈に私たちの心を貫き通す。ギルは、私たちの税金が私たちの生活には還元されずに武器購入の予算になって、誰かがそのために死んでいることについてのブルースを歌った。彼のブルースには哀しさではなく強さと密度があり、そのテクスチャーや楽器構成はジャズに近い。
また、ギルはマスコミ批判についても容赦なかった。「毎日流れるテレビニュースを信用する必要はない。なぜなら、かれらは俺たちのコミュニティに住んでいないから、俺たちのことなんて知らないのさ」と彼は弾き語る。正直で何のためらいもない彼の言葉は、さまざまな偏見やステレオタイプにより歪められた情報の氾濫するこの社会では、私たちに届きにくい希少価値的なメッセージそのものだ。
しかし、ギルの語り口調はユーモアに溢れており、私たちはリラックスしてギルの語る政治的、社会的問題に対して耳を傾けることができた。もし、彼が最初から真面目にこうした政治や社会問題を歌い始めたら、多くの聴衆がその世界に踏み込めなかったり反発を感じたりするだろう。しかし観客は完璧に彼の世界に入っており、ギルの歌が1曲終わるごとに割れんばかりの拍手を送った。ライブ終了後、私も彼のパワーにあてられて言葉がほとんど出なかった。
長身でほっそりした彼はステージでは巨大に見えたが、ライブ終了後に近くで見たとき、そのあまりもの痩身に本当に驚いた。この折れそうな身体の何処にあのステージで見せた声量とパワーを発せられる場所があるのかと驚いた。メディアは信用しないと開口一番に語るギルは、ステージの上でもステージを降りてもその態度をまったく変えない。人々の生活がよくなることしか考えていない彼は、政治批判もそのために行う。ギルの声はすべて強烈なラブ・メッセージだ。
彼は「単純なことだ。俺たちの金がどこに使われているのかに意識的になっているだけだよ。ストリートでのたれ死にする人が大勢いるというのに、政府は武器を作るために俺たちの金を使っている。そして、それによって知らない人間がまた死んでいく。これが問題なんだ」と語る。これは、彼が70年代から一貫して訴え続けていることだ。「革命はライブで起こる」という言葉が現実になるのはいつのことだろうか。 (97/11/01)
Posted by hiroko at September 21, 2001 04:42 PM | TrackBack