最高に良かった。そして、正直言って驚いた。この映画は死体フリークの映画だと聞いていたし、スパイク・リーには「CROOKLYN」以降期待していなかったからだ。「CROOKLYN」のウェイバックな方向性は、「MALCOLM X」を撮るのが天命だと皆に思わせてしかるべきものがあった。しかしこの映画で、彼にはまだ撮り続けなければならない何かがあると感じた。
この映画はゲットーの問題を描いたという意味では「DO THE RIGHT THINGS」と対をなす映画である。しかし、「DO...」では、すべての元凶である人種差別をメインテーマにしているのに対しこの映画では、それがどっかりと重くのしかかっている彼らの生活自体(貧困、犯罪、ドラッグ)を描いている。
「DO...」の時期には、確かにマルコム・キャップやモスリム関連グッズ、ラスタ・メダリオンが流行ったが、今ではそんなコンシャスなことを訴える若者なんて馬鹿にされる。スパイクは、そういったストリートの空気を察している。だから「DO...」で使ったような政治的な主張など何も使わず、彼はただブルックリンのゲットーの男の子を登場させた。
しかし、それこそが一番強烈なメッセージなのだ。なぜならば、ゲットーに住む黒人男性という存在が、このアメリカ社会におけるあらゆる歪みを象徴しているからである。だから、人種差別が生み出したあらゆる社会・政治・経済問題が、この映画には必然的に出てくる。バーチャル・リアリティのテレビゲームをやっている少年の、現実と非現実をさまよう生活。ドラッグアビューズで動物と化した若い女たち。貧困、犯罪、そして積もり積もってゆくストレス。これは、ゲットーの現実そのものだ。
「DO...」の世界はいろんな人種のあふれる文字通りのカラフル・ワールドだが、この映画の世界は、苦しみを歌うブルース(青)の色調に支配されたブラック・ワールドだ。「DO...」では、人種間の対立を、現実とはかけ離れたカラフルな色彩の街並みの中で描いた。最後は暴動、破壊というやりきれない事件で終わっているが、それでも全体的な色彩と音楽が叙情詩的な雰囲気を醸し出していた。それは、やはり現実ではなく架空の世界だった。
しかし、この映画では、物語っぽい色合いをすべてそぎ落とし、ゲットーを青く青く描いている。青という色彩は、彼らの生活を最もよく表している色だ。ブルースの青、流れる音楽すらも本当に青く感じる。そしてそれに血のイメージを加えたMARC DORSEYの歌声は、遠い昔もどこかで聞いたことのある声、1960年代から叫ばれ続けて来た声と重なる。
抑圧のはけ口が自分達に向けられるブラック・オン・ブラック・クライムは、レイシズムによる「貧困」が生み落とした「暴力」だ。「DO...」の答えは暴動による集団ストレス発散だったが、この映画の答えは犯罪による精神的なストレス発散、それに逃避だ。本当に、この主人公のようにウェイ・アウトするしかないのか?
Posted by hiroko at September 21, 2001 05:04 PM | TrackBack