September 21, 2001

KILLING FIELD

[ Films ]

 ニューヨークに亡命してきたカンボジア人の友人が「この映画を観て欲しい」と言って、彼とその家族と一緒に観た。最後のシーンの、地平線に至るまで人間の骨で埋め尽くされた大地を見た時、涙が止まらなかった。友人が、映画の最後に流れる曲「イマジン」について話していた時には、この映画がこれほど凄いものだとは思いもしなかった。

 「KILLING FIELD」は、1970〜75年までのカンボジアの政治、社会情勢を、一人の米ジャーナリストの体験を通して描いたものだ。米記者の強いジャーナリト精神と反骨精神、それに彼の通訳だったカンボジア人の逞しさに打ちのめされてしまった。そのカンボジア人は、クメール・ルージュのメンバーに弾圧されながらも、何度も命の危険を乗り越え、とうとう最後にはタイの国境に到達してアメリカに亡命できた。どんな状況に陥っても、自分を信じて絶対に生き残ってやるんだという信念を持てばやれない事はないのだと実感した。

 70年代初期、カンボジアではベトナムのポルポト派の圧政に苦しんでいた。その後、シアヌーク殿下がクメール・ルージュと協力してポルポト派に反旗を翻し政権を奪取した。しかし、クメール・ルージュが行った事は、ポルポト派がやった事と同じ民衆の虐殺だった。「諸悪の根源」の資本主義の象徴である市街地をすべて焼き払い、民衆はすべて農村に駆り出され労働を強いられた。教授、医者、ありとあらゆる教育を受けた人達は集め皆殺しされ、その数は何とカンボジアの総人口の半数近くにものぼった。

 人間は、なぜ争い、他人を征服したがるのだろう。皆それぞれ一生懸命に生きている。しかし、国家のためという大義名分の下にその罪のない民衆が駆り出され、利用され捨てられる。そこには、個人の意志など介入する余地などない。人権人権と叫ぶヨーロッパやアメリカは、アジアの小国にいる人々の人権は人権だとは思っていない。国内解放軍も政権を握った途端、自分達の民衆に対して圧政を敷く。それに見かねて他国軍が介入すると、それは侵略や内政干渉だということになる。

 友人のカンボジア人は、他国軍が介入し圧政者を暗殺してほしいと言う。彼は国を追われ、タイの国境の難民収容所にまで逃げ延び、アメリカに受け入れられた。彼は、国内にいる人々は何も出来ないので、外国の助けが必要だという。圧政者を暗殺することは、良い事だと断言する。しかし、たとえ抑圧者を暗殺したとしても、状況自体を変えなければまた第二、第三の抑圧者が出てくる。

 また、外国からの圧力の一つに経済制裁があるが、それで圧政者に圧力をかけるといっても、食べ物に困って苦しむのは結局民衆である。武器援助も同じである。その武器を使って死ぬのは誰なのか?解放軍でも軍事政権でも、どちらにしても民衆ということに変わりはない。難民を亡命させるのも非常に重要だが、すべての国民を亡命させるわけには行かないので、解決策にはなりえない。

 解決策は、なぜ、そのような状況になったのかを歴史を踏まえて考慮しなければならない。一番大きな原因の一つは、経済問題だ。一国だけではなく、多くの国が互いに関わり合っていく中で、どうしても技術的後進国は安い労働力の配給地となり搾取される。もし、アメリカや他の先進国が民主主義をその国に持ち込みたいと本当に思っているのならば、まずそれらの国々から搾取することを自分達が止めなければならない。

 また私達は、それをひと事だと思うべきではない。日本も多くのアジア諸国やブラック・アフリカ(サヘル地域以南のアフリカ)諸国を搾取しているのだから。南アフリカから「名誉白人」と言われいい気になって、マンデラ氏が日本に来た時にマスコミも共謀して事実に反する報道をした事は、周知の事実である(マンデラ氏は、日本に援助を乞うために来たのではなかったが、大手三紙は揃ってそのように報道した)。

(1996年11月7日)

Posted by hiroko at September 21, 2001 05:06 PM | TrackBack
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