私が初めて「エボニクス」(Ebonics)という言葉を聞いたのは、昨年の暮れも押し迫った頃だった。エボニクスとは、「エボニー」と「フォニックス(音声)」という言葉をかけ合わせた黒人英語を意味する造語で、1973年に黒人心理学者のロバート・ウィリアムス博士により提唱された、黒人英語を自分達の文化として尊重しようとする積極的な意味を持つものだった。
しかし、昨年12月18日、カリフォルニア州オークランド統一地区教育委員会である発表がなされて以来、この言葉はまったく異なる意味合いを持つようになった。同教育委員会は、エボニクスは「標準」英語の方言ではなく、アフリカに起源を持つ異なる言語だとした。この決定に対しては全米中で議論が沸き起こり、黒人達は自分達が突然、外国語を話すグループとして位置づけられたことに対する驚愕や不快感を露にした。
この決議の背景には、同地区での黒人生徒の成績の伸び悩みがある。同地区の教育委員会が発表した統計によると、黒人生徒の平均成績は人種別で最低、また標準テストの成績も落ち続けている。さらに、全生徒51706名に占める黒人生徒の割合は53%なのに対して、特殊学級に入っている黒人生徒の割合は全体の71%と圧倒的に高く、停学処分の生徒もその約80%が黒人生徒で占められている。
同教育委員会では、これは黒人生徒の話す言葉を教師が理解できないために生じる問題だと考えた。そこで、黒人生徒と教師のコミュニケーション能力を高める目的で、教師にエボニクスを教えるプログラムの確立のために連邦政府の資金援助を求めた。ヒスパニックやアジア人生徒はバイリンガル用プログラムの資金援助を受け、成績を伸ばしている。黒人に対しても同様の資金援助を受ける権利があると考えたのだ。
同教育委員会の目的が、黒人生徒のための援助獲得という部分にあることは、評価すべき点である。しかし、その援助を受ける方法としてエボニクスが異言語なので教師はそれを学習すべきだとする同教育委員会の論理に対して、主流メディアは反発を感じ否定的にこれを報じた。この報道により、多くの黒人達は同教育委員会を批判し、ジェシー・ジャクソン師やNAACPもすぐさま反対の意を表明した。しかしその後、ジャクソン師はオークランドまで足を運び、同教育委員会と直接話をしたあと反対意見を撤回している。これは、彼が同教育委員会の決定の真の目的を理解し、それに賛同したからに他ならない。
実際問題としては、教師にエボニクスを教えることが直接的な問題解決につながるとは思いがたい。なぜなら、教師達の心のなかにある差別や偏見が、黒人生徒の学校での成績の伸び悩みを招いているからだ。エボニクスを話したとき教師に嫌な顔をされ、言葉が出なくなったという黒人生徒も多い。それは、言葉の理解の問題以前に、生徒を本当に理解しようとつとめる教師が少ないことを表している。
生徒の成績が悪いのは、生徒の責任というよりも生徒をいかに導くかという教師の責任だ。私の友人の何人かは小さい頃、教師から侮辱的な扱いを受けたことで劣等感を感じたという。これら有形無形の差別の総体が成績という結果となって表れているのであって、言葉とはその差別を受けているグループの特徴を代表しているのにすぎないのだ。したがって、問題の根幹となっている黒人生徒と教師間の精神的な溝を取り除かない限り、いくら教師がエボニクスを流暢に話せるようになっても事態は改善しないだろう。また、この問題に関してエボニクスは異言語か否かというような議論よりも、黒人生徒を援助することに対して暖かく歓迎するような世論が形成されないことの方が問題の根深さを語っているといえる。(97/09/01)