June 02, 2004

RSA Conference :: スマートモブズと画像個人情報の管理 (by東浩紀)

 2日間にわたる「RSA Conference」が終了しました。今回はクラストラックが少なく、ソリューション中心でした。注目していた東浩紀さんのセッション「スマートモブズと画像個人情報の管理」は非常に興味深かったです。以下、東さんの講演のメモです。


2004年5月31日 16:20-17:10

スマートモブズと画像個人情報の管理

 情報社会論の最新の動向(スマートモブズ論)に照らし合わせながら、急増するカメラ付き携帯電話や防犯カメラによって撮影された映像をいかにコントロールすべきかを考えます。社会学的議論を中心にお話いたします。

 まず、日本で防犯カメラが普及したきっかけになったのは、2003年7月に長崎で起きた児童殺害事件でした。イギリスを見てみると、丁度その10年前に似たような児童殺人事件が起こっていました。1993年のジェイムズ・バルジャーと呼ばれる事件がそれです。その後、イギリスでは街角に設置された監視カメラが急激に増え、現在では数百万台の規模に達しています。日本でもいずれこういった事件が起こることは想定されていたのですが、実は犯人を特定するきっかけにつながったのが、防犯カメラに映った犯人の映像だったのです。また、その前には池田小学校の児童殺害事件が起こり、小学校に監視カメラを設置しようという動きが高まりました。こうした流れから、防犯カメラの必要性が注目され、日本でも急速に増えていったのです。

 しかし、その一方で、監視カメラが増えすぎているのではないかという懸念もあります。たとえば、杉並区では防犯カメラに関しての条例を2004年3月に制定したのですが、ここでは、誰が、何のために設置するのかといった理由を含む設置利用の届け出を行うことが定められています。逆に言えば、こんな基本的なことが今までなかったのかということですね。

 もうひとつの動きとしては、カメラ付き携帯電話の問題があります。モブログの急成長で、携帯カメラを通して撮られた画像がリアルタイムでウェブサイトにアップロードされています。私も自分のウェブサイトではてなダイアリーの引っ越しをモブログでレポートしました。このように、とても便利な反面、現状ではモブログや携帯カメラの画像配信に制限するものが何もないので、いろんな問題が起こる恐れがあります。身近な例では、雑誌の映画情報やお店情報といった本の内容を携帯カメラに収めるという「デジタル万引き」が大きな問題になっています。

 海外ではすでに、プールや公衆の場での携帯電話の持ち込みを禁止するケースが増えています。それは、脱衣場で同性愛者やペドフィリアの人々が同性や子供の着替えの写真を撮ってウェブ上で流す事件が何件も起こったからです。誰もが誰もを撮影するようになったとき、これをどう規制すればいいのでしょうか?

 防犯カメラと携帯カメラは、言うなれば、ビックブラザーとリトルブラザーズの関係に当たります。集中と拡散という2つの方向性とも言えます。また、防犯カメラは社会秩序を維持する安全・管理を実現するもの、携帯カメラは個人をエンパワーする道具として自由・便利さを実現するものという、2つの軸から見ることができます。この関係性を以下の図に表してみました。
 
azuma1.jpg

この左下の象限にある「リトルブラザーによる監視」では、玄関などにカメラを設置して無線LANでPCに情報を送り、不審な動きがあったらすぐに携帯電話にメールを送るといったような商品が1万円代で販売されています。しかし、右下の象限は、実は強力な権力がなくても個々人が自律的に社会秩序を生み出すことのできる仕組みなのではないかと思います。ハワード・ラインゴールドの著書名でもある「スマートモブズ」というのは、賢い群衆という意味で、これまで愚かだと思われていた群衆がエンパワーされることを意味しています。

 スマートモブズの本のなかに「一望監視施設か、強力増幅施設か?」という言葉があるのですが、私は「or」ではなく「and」だと思っています。一望監視施設 、まさにパノプティコン(注:ベンサムが考案した理想の監獄で、建物全体が上から見ると丸く見える状態になっていて牢屋は監視塔を中心に環状に配置されているという一望監視施設のこと)的な世界と、賢い群衆の2つの方向性が共存しているところが厄介なところでもあります。

 監視社会に関しては、2002年に青土社から出たDavid Lyonの「監視社会」が必読書ですが、911テロ以降の監視についての鋭い考察が書かれています。ここで言われているのは、管理とは、配慮と切り離せないもので、社会的な秩序形成というのは、監視技術なしにはもはや成立しないということです。つまり、監視と自由は不可分になっているのです。

 それでは、監視が不可欠なものになっている社会で、私達はプライバシーや人権を守るためには何をすればいいのでしょうか?情報管理、法整備、または啓蒙活動というのがよく言われるのですが、果たしてそれで十分なのでしょうか?私は、そうではなく、監視技術が必要な社会そのものが問題なのではないだろうかと、問いかけてみる必要があると思います。

 監視技術を乱用するケースが非常に増えています。環八の瀬田付近はいつもゴミが自動車から大量に捨てられていましたが、世田谷警察署がその場所に「ゴミの投棄が減らない場合は監視カメラを設置します」という看板を出しました。その後、実際にゴミが減ったのです。また、池袋のサンシャイン通りには「祝・防犯カメラ設置」といった垂れ幕がかかっています。

 また、広島県のある町では、安心・安全がテーマの「e-Town」というプロジェクトがあり、その町ではなんと各家庭にカメラが設置されており、みんなが町中の様子を見ることができるのです。町運営のHPでは、町のなかでしか見ることのできない掲示板があり、不審な人がいたら書き込むことになっています。そこには、不審な車が止まっているなどの書き込みがあるのですが、たまたま遠方から友人が遊びに来ていただけかもしれません。しかし、町の人のコメントを聞いてみると「安全な町になってよかったです」という好意的な反応が返ってくるのです。しかも、e-TownのITシステムはネットベースでセキュリティ上の不安も大きいです。

 ほかにも、留守中を監視してくれる「ITマンション」など人気ですが、大量のデータをどう管理するのかという点は考慮されておらず、技術を使えば安全と思い込んでいる部分が大きいのです。しかし、実際には役に立つよりも人権を侵害しているケースが多い。たとえばマンションの防犯カメラは内向きに設置されており、外部者ではなくマンションの住民を監視しているのです。ゴミを決められた日に出さない人などをチェックするためです。また、盗難が多いという理由で脱衣所にもカメラを設置している銭湯があるのですが、これは非常に危険です。

 企業は、個人情報が漏洩した場合、非常にお金がかかることを念頭に置き、本当に設置すべきかを考える必要があります。

Posted by hiroko at June 2, 2004 01:09 PM | TrackBack
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