January 08, 2005

BHNテレコム、スマトラ沖地震で通信援助

スマトラ島沖地震に関して、日本のNGO、BHNテレコム支援協議会が通信関連の援助をしている。詳細はまた書くが、彼らに関して2002年2月に取材したときの記事は以下↓

 灼熱のマザリシャリフ校外に日本NGOの調査団が入ったのは、昨年の8月だった。45度の熱波、延々と続く粗末なテント。干ばつで飢餓状態になった住民が押し寄せて、自然発生的にできた国内避難民のキャンプである。各国のキャンプをつぶさに見ているベテランの海外スタッフですら、正確な数さえ把握できず食糧援助も届かないこの地域の惨状に、思わず言葉を失う。インターネットや携帯電話などの情報通信の発達で、世界が1つになりつつある一方、南北間でこれまでにない経済格差が広がっている。こうした状況を打開するため、日本のNGO「BHNテレコム支援協議会」(以下BHN)は、アフガンにいるNGOに通信設備や無線ネットワークを敷設するというユニークな支援活動を行っている。


 BHN事務局長の篠原浩一郎氏は「長引く内戦と過去3年間の深刻な干ばつにより、アフガン住民のほとんどが飢餓状態に陥っています。世界の難民数2200万人のうちアフガン難民は470万人を占め、人口の5分の1が隣国のパキスタンやイランに流出している状況です」と説明する。
 国際電気通信連合(ITU)によると、アフガンの電話普及率は0.13%と最悪である。有線電話網は破壊しつくされ、名刺に書かれた電話番号はまず通じない。そのため、BHNでは、日本のNGOがアフガンで活動を行う際の通信設備を調査するため、昨年8月に現地入りした。パキスタンのイスラマバードから、国連の特別機でアフガニスタンのカブールに飛び、マザリシャリフ、シャリプル校外の避難民キャンプを回る。だが、帰国して3日後に同時多発テロが起こり、日本大使館は閉鎖、海外NGOのスタッフは国外退去、アフガンへはまったくのアクセス不能となった。
 BHNは、アフガンへ入れないのなら、パキスタンへ逃れて来たアフガン難民に対して電話サービスを提供しようという計画を立てた。BHN会員の友田昌秀氏と現地スタッフ5人が今年1月、パキスタンのぺシャワール北部のコットカイ、カイバル峠近くのサマール難民キャンプに入り、6メートル四方の青いシートで囲んだ電話ボックスを設置した。使用したのは、インマルサットなどに比べてリーズナブルな、スイスの電話会社「THURAYA」の衛星電話だった。
 篠原氏は「ほかのNGOからは、電話よりもパンや毛布が必要だと批判されましたが、3万人中500人近くの人々が電話番号を書いた紙を持ってきて、パキスタンやイランの家族や友人と会話をすることができました。電話口で涙を流しながら家族の安否を確認しており、通信の重要性を実感させられました」と語る。

 3カ月におよぶ米国の一方的な空爆を経て、昨年12月にアフガン暫定政権が発足した。アフガンに何度も足を運んでいるBHN参与の中西洋夫氏は「市民は安心した表情で、街には活気が戻って来ています。市街地も夜の一人歩きをしなければ安全です」と語る。BHNはさっそく現地NGOの「CoAR」のために、カブールとヘラート間の700キロにわたる地域に無線局を40カ所設置するプロジェクトを開始した。日本の無線メーカーや日本のNGO団体「国際アマチュア無線ボランティアズ」(IARV)の協力のもと、現地NGO側から2人のエンジニアを日本に招いてトレーニングを行っている。
 多くのNGOが市内電話替わりに利用しているVHFやHF無線は、アンテナを10万円程度で購入できる上、通話代がかからない安価な通信手段である。その他の通信手段としては、海外の報道陣が利用しているインマルサットやインマルミニやなどの衛星電話がある。BHNでは、3台のTHURAYAの衛星電話を使って、ぺシャワールにある日本大使館とカブール間と頻繁にやり取りをしている。また今年に入り、スウェーデンのエリクソン社が、数百人のスタッフをかかえる世界食糧計画(WFP)のために市内の3カ所に携帯電話の基地局を建設した。最大で5000名が利用できるが、政府高官や国連スタッフしか利用できず、日本大使館でさえ加入を拒否されたという。このような状況なので、インターネットのプロバイダーは存在せず、必要に応じて衛星電話からパキスタンなどのプロバイダーに接続してインターネットを利用している状況だ。
 日本の常識が通用しないのは通信設備だけではない。電気やガスなどの基本的なインフラも壊滅状態であり、無線の設置には、まず電気の確保から考える必要がある。太陽電池やガソリンエンジンによる蓄電機を用意するのもBHNの仕事だ。さらに、技術者不足も深刻な問題である。無線設備を設置するため4月にふたたびアフガン入りする中西氏は「アフガンには無線エンジニアが皆無に近く、日本で彼らをトレーニングし、現地で学校を作るくらいの勢いが必要になってきます。アフガン人にとって日本人は親しみの持てる心強い援軍だと思いますので、かれらと協力してなんとか現地のエンジニアを育てて行きたいですね」と抱負を語る。文字通り瓦礫のなかからの出発だが、こうした意欲と再建への希望がアフガンの復興を一日でも早めるだろうと実感した。


(掲載誌:インターネットマガジン2002年3月号)

Posted by hiroko at January 8, 2005 10:05 AM | TrackBack
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