July 16, 2005
新宿ポエトリースラム「SSWS」ファイナル

今日は、SSWSのグランドチャンピオン・トーナメントを観に行った。審査員は飲み仲間のVictor Entertainmentの佐藤直行さん、XCOOLのゲストにも登場してくれたエスケンさんなどを含めた9人。今日の模様はニフティのPodcastingでも聴けるので、興味のある人はぜひ聴いてみてほしい。
September 21, 2001
CRITICAL MASS
1996年6月22日、ニューヨーク、チェルシーのCarry On Cafeで、ニューレフトのグループ主催のパーティがあり、その中でCritical Massというラップグループのパフォーマンスがあった。最初にニューレフトのメンバーの何人かがポエトリーリーディングを行った。内容は政治批判や社会問題、特に人種差別を訴えたものが多かったが、その中でも先頭を切ったポエトが、黒人でレズビアンでもあるCritical MassのMCの一人、Hanifai Slangだった。
22才という彼女の詩は、繊細だがエゴイズムには走っていないメイクセンスな内容の詩だった。黒人に対するステレオティピカルな認識や、レズビアンであることに対して受ける冷たい風あたりをストレートに表現していた。オーディエンスは人種的にミックスされていたが、彼女が白人を批判する度に、白人達の間から拍手や賞賛の声があがるのに不思議に思った。その後、友人から、彼女のいう白人というのは、個人を指しているのではなく、白人優越主義というアメリカの政治構造全体を指していると聞いた。
Critical Massのパフォーマンスが始まった。彼等のメッセージはシンプルで力強いビートにのって、まるで吟遊詩人の即興の詩のように自然にカフェの中に浸透した。怒りに満ちたメッセージを彼等はRightious Angerと表現する。拳を力一杯ふり上げ「Freedom Africa」を叫ぶHanifai に続き、プエルトリコの男としての人生をたんたんと語るDawizzardは対照的。もう一人の女性MCは、ラフなドレッドにか細い体をもつボヘミアン風のLittle Rukus。Da BratっぽいしっかりとしたラップでHanifai をサポートする。
Critical Massによると、今のラップはコマーシャルになりすぎていて、自分達の本当に言いたいことが言えなくなっている。だから彼等は自分達でレーベル HAZMAT Productionsを作ってとインディでやっている。活動は彼等のホームタウンであるニュージャージーを含め、ニューヨークエリア全体にわたる。Hanifai は言う。「ポエトリーは私のすべて。私の考えていることや感じていることのすべて。ラップ?ラップは私のソウル。わかるでしょ?ラップは、ビート。感じるものなの。ポエトリーは、私自身。だからちょっと違うのね」
チェルシーをくだってウエストヴィレッジを抜け、6番街と8丁目の角にさしかかったとき、ポリスカーがヒスパニックのホームボーイを捕えるところだった。夜道に、捕まった男の子の抵抗する声と、周りの男の子たちのポリスをなじる声がこだまして、『Do The Right Thing』を思い出した。(1996年8月3日)
NUYORICAN POETS CAFE
イースト・ヴィレッジの果て、スパニッシュ街に足を踏み入れかかったところにある NUYORICAN POETS CAFEでは、毎晩オープン・マイク・ショー(参加したい人は誰でもパフォーマンスが出来るショー)をが行われ、若い詩人や歌手、ダンサーやラッパー達のパフォーマンスをやっている。その中でも、 FareedというNuyorican Moroccan(プエルトリコとモロッコの文化的背景を持つニューヨーカー)がホストを務める 「Lylics: hip hop poetry showcase」は、いつも若い詩人やアーティストたちであふれている。
モロッコから帰ってきたばかりのFareedが行った1996年8月3日のオープン・マイクでは、合計20人以上ものアーティストたちのパフォーマンスがあった。パフォーマーもオーディエンスもほとんどがブラックやヒスパニックの若者達。今まで何回かポエトリー・リーディングには行ったが、こんな熱気は味わったことがなかった。ステージのバックには、ドラマーとモロッコのフルート奏者、それにDJが、それぞれのパフォーマーに合わせて音楽と言葉を紡ぎ合わせていく。ステージの横では、グラフィティ・アーティストが「Lylics」と大きな飾り文字をカラー・スプレイで慎重に塗り重ねている。彼は毎月名前が変わるので、皆、ただ「グラフィティ」と彼を呼ぶ。
最初の詩人、一見するとSnoopのような飄々とした物腰にビッグアフロの若者は、ステージに立つと同時に「僕は、人間」と歌い手のような口調で語りだした。「僕は、人間。レーベルを貼ることの好きな人は僕のことをアフロ・スパニッシュ・ニューヨリカン・ボヘミアン・ポエトとかなんとか言うかもしれないけど、僕は、、、」彼の静かで深い声が途切れると、皆、合いの手を入れる。ここでは、失敗するのを待ちかまえるかのように喜んでブーイングをする人間は、一人としていない。皆、パフォーマーであり、皆、オーディエンスだから、お互いの気持ちが分かるのだ。終わった後の拍手は、Fareedが「もう一度、パフォーマーにビッグ・リスペクトを」とアナウンスをするかので、必ず2回になる。
7〜8人のパフォーミングが終わったあたりで、Fareedのポエトリー・リーディングが始まった。今回の彼の詩は、オールド・スクール・ヒップ・ホップに捧げるものだった。彼が子供の頃、B-boyスタイルがどんなにかっこいいものだったかというラップの始まりから、今のギャングスタ・ラップにいたるまでを、生ドラムのファンク・ビートにのせて歌い語った。DJ クール・ハーク、アフリカ・バンバータ、ズール・ネイション、シュガー・ヒル・ギャング、ヒューマン・ビートボックスのビズ・マーキーなどの歴代のラッパー達の名前が、次々に挙げられていく。彼のポエトリーを聴きながら、本当に、ヒップ・ホップ文化というのは巨大だと実感した。メジャーな名前を挙げていくだけで、もうきりがない。一人一人の音楽からライムに至るまで、その多様な才能を説明していけば何カ月もかかってしまうだろう。
Fareedは、第2のラップの波であるパブリック・エナミーやKRS-Oneのところで特に力を込めて、「皆、KRS-Oneの、ライムを聴け!」と何度も繰り返した。そして、ステージの横の「Lyrics」という飾り文字のグラフィティ・アートを指さして「Lyrics!Lyrics!Lyrics!これが一番重要なんだ。Lyricsを聴け」と叫んだ。その時、突然、彼がどうしてこのオープン・マイクを主催しているのかが分かったような気がした。以前、オールド・スクールのラッパーKG(もとクラッシュ・グルーブ)に「なんで、女性を差別しているようなラップを、女の人たちは気にせず聴くわけ?」と尋ねた時、彼は「ビートだよ。皆踊っているときにリリックなんてきいちゃいないのさ」と言ったのを思い出す。Fareedは、そういうラップの形骸化に異議を唱えているのだ。
ラップは、もともと人々をつなぎ合わせるものだったのだ。それが、ビート中心、スタイル中心に偏って、単純な商業主義の手段になりさがってきた。KRS-Oneも最近はずっと「オールド・スクールに戻ろう」と言っている。ラップが始まった時の、あのポジティビズムを、また皆取り戻したいのだ。最後の方で、Fareedがビギー・スモールの名前を出すと、オーディエンスの中から嘲笑の声がひびいた。ビギーのクラブでの逮捕劇は、彼が、ラップのリリックにある人生観そのものの生活をしているということの証明で、皆そういうライフスタイルや不幸な話には飽き飽きしているのだ。
その後、私の友達のBonhommeもポエトリー・リーディングを行った。彼は、Charles Mingusに捧げる詩を詠んだ。また、彼の友達のMichaelは、フリースタイルのラップを披露した。皆が、外から受けるステロタイプや、彼ら自身の中にある壁を打ち破ろうと自分を真剣に表現している姿は、何かが生まれる瞬間だと感じた。Fareedによると将来的には、このショウケースのライブ盤CDを出したいという。数えきれない才能と文化の多様性を、ただやみくもに恐れたり否定するのではなく、ごちゃまぜのまま受け入れている彼らは、いい意味での精神的マイノリティだ。このニューヨークでも、そういう人達は少ない。だから、このショウケースに集まる人達は、アーティスト一人一人に対してのパフォーマンスの次のリスペクトの拍手を忘れない。
UNIVERSITY OF STREET
イースト・ビレッジのアルファベット通りにあるUNIVERSITY OF STREETは、NUYORICAN POETS CAFEと並ぶ二大ポエトリー・リーディング・カフェだ。今夜はそこで、三人のジャズ・シンガーのパフォーマンスがあった。
毎週金曜と土曜の夜中からはジャム・セッションも行われ、いつも詩人達で溢れるこのカフェは、その夜は小さな小劇場になった。観客もそのほとんどがパフォーマーの友人や家族で、パンクスやありとあらゆるカウンターカルチャーに侵された若者達がうろつく場所には似つかわしくない、暖かい雰囲気がそこにはあった。シンガーは三人ともジャズ・ピアニストのBARRY HARRISのボイス・トレーニングを受け、ここニューヨークの地元で頑張っている。
最初のシンガーBARBARA BONHOMMEは、私の友人のお母さんだ。お母さんといっても42歳とは思えない美しさで、歌も味わい深かった。楽しんで歌っている感じだった。
次のシンガー、BENITA CHARLESはまだ若い。BARBARAに言わせると、彼女はBARBARAの娘のような存在だ。R&Bの洗礼を受けた彼女の声はフラット・ノートで、ジャズ特有の半音の上がり下がりや高低はなかった。しかし、彼女の歌うセクシー・ブルースはなぜか魅力的で、MARY J. BRIDGEがジャズをやっているという感覚だ。通常の12小節のブルースではなく、1小節目のしゃべりの部分をうんと引き延ばしていて、かっこよかった。ヒップホップを感じた。
最後のシンガーKAREN MURREYは、最初にボサノバのLOTS OF STARSを歌った。ELLAのような声質で、少しBILLYっぽい不安定さを持った歌い方は壊れそうで美しかった。
ショーが終わると若手のミュージシャンや詩人、また画家なども入り交じり思い思いの会話を楽しんでいた。壁に飾ってある絵を描いたDIANNA GITESHAは、歌も歌う。会場に来ていたソプラノサックスのSMITTY SMITHはGITESHAと一緒に今度ギグをやるという。
また、観客の一人はベース・プレイヤーだが、今は生活のためにプレイするのを諦めたという。(1996年10月27日)
*追記:Barbaraは現在、Sweet Basilなどでギグをやり、Barry HarrisのCDにも参加している。
(99/02/06)
オリジナル・ヒップホップ・ポエト「FAREED」
日曜日の夕方、トンプキン・スクエア公園の近くでFAREED ABDALLAHに会った。FAREEDは、NUYORICAN POETS CAFEで毎月ヒップホップ・ポエトリー・ショウケースの LYLICSを開催している。10月5日のショウケースはどうだったか尋ねると、彼は「ブルックリンかブロンクスかどこかのモブスター達がやってきて、散々だった」と語った。
その夜、会場は300人か400人の人、人、人で埋め尽くされ、物凄い熱気のショウの途中、そのモブスター達が喧嘩を始めた。喧嘩はひどくなり、ポリスカーがやって来てとうとうパフォーマンスは中止させられたそうだ。FAREEDは、来年の春までNUYORICANではショウを出来ないので、多分違う場所を探すと言っていた。来年の1月にブロンクスのクラブ「POINT」(注1)でショーをやる。また、BMCC(ブロンクス・コミュニティ・カレッジ)でもやると言った。
彼から、ヒップホップ文化の中でどうやってポエトリーが生まれていったかを聞いた。彼は「FUTURE FORCE」(オールド・スクール・ラップグループ)のメンバーで、1983年にはマンハッタンの老舗クラブ「ROXY」でCOKELESS BROTHERSとともに大きなショーもやったそうだ。しかしポエトリーに興味を持ち、1984年頃からポエトリーを書き始めた。ヒップホップ・ポエトリーが本格的にメジャーになったのは1992年頃で、初めてショーに出たのはヘルズ・キッチン(注2)のコミュニティ・クラブ「REDROOM」だったという。1995年6月のこのショウケースは「RECKLESS IN HELL'S KITCHEN」といい、ホストは女性ポエトのJENNY ROBERTだった。
FAREEDが初めてホストを務めたショウは、NUYORICANの「RAP POETRY THE HIP HOP TIP」で、1995年7月のことだった。もともとROCKYが「ALL THAT」というショウをNUYORICANでやっていて、FAREEDを招き入れたという。最初は5人程のポエト達で始めたショウだが、今では多くのキッズ達が集まるようになった。NUYORICANは、オープンしてからの4年間一度も死傷者が出ていない場所で、クラブとしては驚くべき場所だという。
LYLICSは1996年1月27日、UNIVERSITY OF STREETで始まった。その後、NUYORICANに場所を移し、今では海外からのメディアも取材に来るまでメジャーになった。数カ月前には、「LYLICISM LOUNGE」でのFAREEDのショウを日本のテレビ局が撮っていったそうだ。しかし、FAREEDはそれについてどんなメディアかの説明も何も受けていない。彼はその後も活動を続け、ヒップホップ・ポエトリー特集を行った初の雑誌「STRESS MAGAZINE」では、FAREEDの詩「KICK THE SPEECH」が掲載された。
FAREEDに、ポエトリーとラップの大きな違いを尋ねてみた。彼は悩みながらも「ポエトリーの表現は、ラップみたいに限定されていない。例えば、ラップでは愛を語る時、"I'm in love with you girl, cause you are on my mind."(愛してるよ。君のことが頭から離れないんだ)とやるが、ポエトリーだと"You are my shadow, every time I look, you are always there."(君は僕の影。ふと見るといつもそこにいる)とメタファー(隠喩)を使う。その使い方も自由で表現が多岐にわたる」と語った。最近のラップには、こういったポエトリー的手法も使われ出したという。また、彼は文学的ポエトリーとヒップホップ・ポエトリーの違いも説明した。"to be or not to be that's the question"という有名なシェイクスピアの詩を例に挙げ、文学的ポエトリー風とヒップホップ・ポエトリー風に読んで、そのアクセントのつけ方やニュアンスの違いを語った。
彼は「ラップは、ビジネスになったので面白くない。ポエトリーは、もっと自由に表現できる。NYM FLOW 9(若手のヒップホップ・ポエト)は無実の罪で刑務所に入っているが、そこで書いたポエトリーがSTRESS MAGAZINEの新刊に載った。すごい詩だ。ラップはスタジオが必要だが、ポエトリーはいらない。あいつが刑務所でもクリエイティブなことにリスペクトしている」と語った。彼は、NYMとの出会いを回想した。「あいつが最初俺のショウに来た時は、一文無しだった。俺は、『ただで入れてやる代わりに仕事をしな』と言った。『仕事』とは、ステージに上がって詩を詠むことだ。俺にとっては、入場料をもらうよりも『仕事』をしてくれる方が全然嬉しいんだ。あいつはやった。そして、すごい拍手を受けた。その夜からあいつはポエトになった」
FAREEDの話を聞いていて、ポエトリーとラップの違いというのは、そのテクスチャーの違いよりも、もっと精神的なものにあるのではないかと感じた。表現方法では、ラップでもポエトリー同様のライムを使える。しかし、ラップ市場はもう米国では確立されてしまっているので、アーティストの自由な表現を許さない状況になっている。だから、FAREEDのようにもう一度他者との精神的な交流を求める人達が、ポエトリーをその媒体として見つけた。昔、ラップがそうやって生まれたように。
彼は「パフォーマンスのスタイルは、ポエトリーに限定しない。ショウには、ラテンシンガーもR&Bシンガーも出場する。勿論キッズ達は、彼女の歌が聴きたいわけじゃないが、出ているから聴かざるを得ない。それが、重要なんだ。もしかしたら、そこからインスパイアされて違うものに興味を持つかもしれない。それが、アートフォームを一つの場所に置くことだと思う」と語った。(1996年10月27日)
注1) 940 GARRISON AVE. HUNTS POINTS, 718-542-4139:STEVEN SAP
注2) マンハッタンのウェスト・サイドの37丁目から57丁目までをいう。もともと、アイリッシュかイタリア系のモブ達がいた。
注3) 今年一番の人気ブロードウェイ・ミュージカル。ヒップホップ・フィーリングのタップダンス・ミュージカルで、もともとオフだったのが現在はミッドタウンでやるようになった。
<オリジナル・ヒップホップ・ポエツ>
・FURIOUS FOUR----最初のヒップホップ・ポエト(FURIOUS FIVEではない)。ポエトリーっぽいラップ。「PROBLEMS ON THE WORLD」をリリース
・MARK LARSEN----FAREEDの影響を受けたポエト、現在では文学的ポエトリーの分野で活躍している。
・JESSICA CARE MORE----アポロ・シアターのアマチュア・ナイトで5回授賞。本も出ている。
・SOUL WILLIAMS----若手では注目株。彼が主演した「Soul」は地元で流行った。
・REGIE GAINES----「BRING IN THE NOISE, BRING IN THE FUNK」(注3)の詩を書いた。今年はそれでトミー賞を受賞。
・SLIP ROCK----ダンサー、NEW YORK BREAKERSのメンバー。よくオープンマイクに出る。
SOUL STROKINGーテランス・バンコーレ
どのライブに行こうかと毎週ビレッジボイスを開くだけで胸がときめいた当初に比べ、最近は観客とパフォーマーという単純なライブの構図に多少飽食ぎみだった。そんな折、知人から風変わりなイベントの招待を受けた。それはアートとジャズの融合「Homage To The Greats」プロジェクトというもので、7月10日、イースト・ビレッジの南の果てに位置するアブロンズ・アート・センターで行われた。
小さなコミュニティ・センターで行われたそのショーは、強烈だった。観客がほとんど若い黒人達で埋められた会場のステージの上で、エクスペリメンタルなジャズを演奏するアントニオ・ハート・カルテット。そのすぐ横にはアフリカの衣装に身を包んだ3人の女性が音楽と一体になって踊り、後ろで飄々とした風貌のアーティストが一心不乱に銀のワイヤーのスカルプティングに取り組んでいる。
主催者でありアーティストでもあるテランス・バンコーレは、「ソウル・ストローキング」というアート製作プロセスをアートの世界から音楽やダンスの分野に広げて、それを観客と分かち合おうという主旨でこのショーを企画したという。ソウル・ストローキングとは、「自己の内面を解放することによって神または高次元の存在を感じ、その喜びに溢れた状態で作品を製作する」ことだという。黒人として、またアーティストとしての心のなかに沸き上がる不安感や焦燥感を「Let Go」(吐き出す)ための手段として、彼とその友人などで数年前から始めたソウル・ストローキングは、彼を「Let Go」シリーズというペインティングの製作に駆り立てた。同シリーズは3年前から始められ、今も続いているという。
テランスは「このシリーズを手がけるようになってから、不安感や焦燥感、また既成概念などとに捕らわれることなく、自分自身のままでいいのだと実感できるようになった。高次のエネルギーが体を通過し、魂が解き放たれるのを感じながら製作するものはアートでも音楽でも同じポジティブなエネルギーを持つ。僕にとっての音楽とはソウル・ストローキングのインスピレーションそのもので、とくにジャズを聴くときに強くインスパイアされ、音がビジュアライズされるんだ」と語った。
そのテランスがもっともインスパイアされるミュージシャンの一人、アントニオ・ハートは、ジャズの巨匠ジミー・ヒースのビッグバンドや若手ピアニストのベニー・グリーンとともに、ブルーノートやビレッジ・バンガードにも出演している若手サクソフォニスト。以前何度か彼のプレイを聴いたことがあったが、今回のプレイはそのときのストレイト・アヘッドなジャズ・プレイとはまったく異色のものだった。それは、ブルースからアフロ・キューバン、また他のエスニック音楽までが自然に融合された、彼の個性がそのまま音の結晶となって心に染み込んでくるような不思議な音色だった。
アントニオはショーのあと「これが本当に僕がやりたかったことだ。ジャズをやっているからといってトレーンばかりを聴いているわけじゃない。ヒップホップやボブ・マーリーだって聴いているのだから、それが音に表れるのが自然だ」と語った。ニューヨリカン・ポエツ・カフェなどにもよく行くというアントニオの新しいCD「Here I Stand」には、注目のポエト、ジェシカ・ケア・ムーアなども参加している。
ステージ上で、自由に自分を表現している人間を観るのは、何ともいえず心の安らぐ体験だった。アントニオは、ショーの最後に「コミュニティを助けるためにこのイベントに参加できて嬉しく思う」と語ったとき、観客からの歓声に包まれた。テランスは、ストローキシズム・ムーブメントは広がりつつあるという。また、一人一人の自己解放による喜びを通して平和や調和が生まれるので、このムーブメントは黒人コミュニティを結びつけるポジティブな力になるという。最近のヒップホップ・ポエトリー、またニューソウルの動きとともに、ジャズやアートを融合したストローキシズムは、黒人コミュニティのなかの新たな癒しの機能を果たしていくことだろうと思った。(97/09/01)
HIP HOP POETRY
ヒップホップ・ポエトリーにはまって1年以上立つが、最近のシーンの盛り上がりには目を見張るものがある。そのなかでもとくにニューヨリカン・ポエツ・カフェは、ニューヨークのポエトリー・シーンを支えるもっとも熱気にあふれた場所だ。
8月2日の土曜日、ファリード・アブドラが、ニューヨリカン・ポエツ・カフェに戻ってきた。彼がホストを務めるヒップホップ・ポエトリー・ショーケース「リリック」が再開したのだ。ポエトリー・ショーケースは、大抵アポロ・シアターのアマチュア・ナイトのように、パフォーマーに対して観客が点数をつけて優勝者を決める。パフォーマーにはポエトが多いが、コメディアンやR&Bシンガー、またミュージシャンやダンサーなどもよく登場する。
1年振りのショーとなったのは、前回のショーが警察沙汰になったからだ。毎月開催していた「リリック」はある晩、多数の人で埋まった会場内で数人の若者が喧嘩を始め、警察によりパフォーマンスを中止させられた。
久々の「リリック」では、ンゴマとグッドフェラの2人が注目を集めた。ジャズ・ポエトのンゴマは、ハーレムの123丁目にあるカフェでのポエトリー・リーディング「ストリクトリー・ルーツ」のホストを務めている。ラスト・ポエッツを彷彿とさせる鋭い言葉で様々な事象をバッサリ切っていく彼は「アップタウンに住んでいるのに、いつもわざわざダウンタウンにまで降りて来る必要はない。ハーレムでポエトリー・シーンを興したい」と語った。グッドフェラは若いヒスパニックで、コメディっぽいラッピンとクールなダンスを披露してくれた。
そのほかにニューヨリカンでは、毎週水曜日に「スラム・オープン」、金曜日にはキース・ローチによる「ポエトリー・スラム」が開催されている。また、毎月第1水曜日にはバイブ・マガジンなどの雑誌ライターでもあるバビト・ザ・バーバーが2年以上も続けている「オール・ザット」が開催されている。
私を詩の世界に導いてくれたポエトのマーク・ボナムも、8月25日に初のポエトリー・ショーケース「グリーン・オニオン」を開催した。マヤ・アンジェロ、ギル・スコット・ヘロン、アンジェラ・デイビスなどのポスターを壁一面に貼り、アフリカン・アートをスライドで上映しながら行った彼のショーは、ポジティブ・バイブに満ち溢れていた。黒人文化だけではなく、すべてのピープル・オブ・カラーの文化を結びつけるために、自分のショーを「アフロ・アジアティック」と称している彼は、イタリアンとハイチ人とアメリカ先住民の混じった血を受け継いでいる。多くの黒人の詩が直接的な政治批判や社会批判を行っているのに対し、彼の詩は異なる文化のなかで共通項となる人間の根源を詩を通して追求し、日常の風景を哲学に昇華して提示する。
また、ヒップホップ系ではかなり名の知れたグレゴリー・ゲイツもアップタウンのレストラン、モ・ベターでショーケースを行っている。勝者はアポロシアターのアマチュア・ナイトへ出場できるので人気だが、先日数人が喧嘩を始めてテーブルをひっくり返した。それから広いスペースを借りれなくなり、現在はプール・バーの狭いスペースでしかショーを行えない状況になっている。モ・ベターのバトルでは、ボナムの詠んだ哲学的な詩に対して、幼稚な恋愛の詩を詠んだ女性の方に皆拍手を送った。
私が初めてポエトリー・ショーケースに足を運んだ1年前から比べると、ポエトリー・シーンはかなり盛り上がってきた。ニューヨーク・タイムズ紙なども数回ポエトリーを取り上げ、ヒップホップ・ポエトのボブ・ホーメンは「ラップ・ミーツ・ポエトリー」というCDも出している。また、最近「eargasms」というポエトリーのコンピ版CDも発売され、ヒップホップ・ポエトのジェシカ・ケア・ムーアも詩集「The Words Don't Fit In My Mind」を出版した。
黒人コミュニティにおけるポエトリーは、商業ラップの失ったプログレッシブさを持ち、ヒップホップ・フィーリングを兼ね備えた新たな若者達の表現手段としての地位を確立した。ブルックリンのムーン・カフェや、サウス・ブロンクスのポインツ、またハーレムの「ストリクトリー・ルーツ」など、コミュニティを基盤にしたポエトリー・シーンが今後もっと登場していくことだろう。 (97/10/01)
GIL SCOTT-HERON
9月27日土曜日、ギル・スコット・ヘロンのライブが、ハーレムのショーンバーグ・センターで行われた。私にとって彼との出会いは、日本のあるレコード屋で見つけた彼のファースト・アルバム「Small Talk At 125th & Lenox」だった。ジャケットにたたずむ彼の姿に魅かれて何も知らずに買って帰り、家のプレイヤーに針を落としたときに受けた衝撃はいまも忘れられない。125丁目の街角に立っているという錯覚に陥るほど、このアルバムはライブなものだった。言葉の意味も分からなかった当時から、とにかく好きで幾度となく聴いたのが「Revolution Will Not Be Televised」だった。
その後、彼の思想や音楽スタイル、言葉の紡ぎ方がヒップホップの形成に多大な貢献をしたということを知ったが、それでも日本にいたときにはただ単に、パーカッションにギルの音楽的な詩というサウンド自体に魅かれていただけだった。しかし、今回彼のライブを観て、彼のメッセージを聴いて初めて、彼の凄さを実感した。権力や不正に対する強烈な怒り、また民衆に対する尽きない愛情がこの詩人のすべてを形成している。ギルは、その言葉と存在で観客すべてを圧倒し、個々の自我を完璧に取り去りすべての人との一体感を実現できる本物のメッセンジャーだ。
語り出しはまず、ギルの社会に対しての一考察から何気なく始まった。「この国の人間には英語を話せる人が少ない」と笑いながら語るギルは、彼の妻が3週間ごとにパーマをかけにいくという話をし、そんなしょっちゅう行くのは「パーマネント」ではなく「テンポラリー」だと言って、聴衆を爆笑の渦に巻き込んだ。
その後、ゆっくりとバンドのメンバーが登場し、彼のブルースが始まった。ギルの紡ぎ出すピアノと言葉には、社会が激しく変動した70年代の面影を残す厳しさとともに、社会や人間に対する成熟した愛情が強くにじみ出ている。社会の矛盾を矛盾としてストレートに表現する彼の声は、どんな強力な武器よりも強烈に私たちの心を貫き通す。ギルは、私たちの税金が私たちの生活には還元されずに武器購入の予算になって、誰かがそのために死んでいることについてのブルースを歌った。彼のブルースには哀しさではなく強さと密度があり、そのテクスチャーや楽器構成はジャズに近い。
また、ギルはマスコミ批判についても容赦なかった。「毎日流れるテレビニュースを信用する必要はない。なぜなら、かれらは俺たちのコミュニティに住んでいないから、俺たちのことなんて知らないのさ」と彼は弾き語る。正直で何のためらいもない彼の言葉は、さまざまな偏見やステレオタイプにより歪められた情報の氾濫するこの社会では、私たちに届きにくい希少価値的なメッセージそのものだ。
しかし、ギルの語り口調はユーモアに溢れており、私たちはリラックスしてギルの語る政治的、社会的問題に対して耳を傾けることができた。もし、彼が最初から真面目にこうした政治や社会問題を歌い始めたら、多くの聴衆がその世界に踏み込めなかったり反発を感じたりするだろう。しかし観客は完璧に彼の世界に入っており、ギルの歌が1曲終わるごとに割れんばかりの拍手を送った。ライブ終了後、私も彼のパワーにあてられて言葉がほとんど出なかった。
長身でほっそりした彼はステージでは巨大に見えたが、ライブ終了後に近くで見たとき、そのあまりもの痩身に本当に驚いた。この折れそうな身体の何処にあのステージで見せた声量とパワーを発せられる場所があるのかと驚いた。メディアは信用しないと開口一番に語るギルは、ステージの上でもステージを降りてもその態度をまったく変えない。人々の生活がよくなることしか考えていない彼は、政治批判もそのために行う。ギルの声はすべて強烈なラブ・メッセージだ。
彼は「単純なことだ。俺たちの金がどこに使われているのかに意識的になっているだけだよ。ストリートでのたれ死にする人が大勢いるというのに、政府は武器を作るために俺たちの金を使っている。そして、それによって知らない人間がまた死んでいく。これが問題なんだ」と語る。これは、彼が70年代から一貫して訴え続けていることだ。「革命はライブで起こる」という言葉が現実になるのはいつのことだろうか。 (97/11/01)









